榮屋本舗の阿部です。
今日は『タキシード』の歴史についてのお話です。
1900年代に『黒いジャケット』に
『燕尾服のパンツ』 『ウイングカラーシャツ』 『白ベスト』
『白の蝶ネクタイ』というスタイルが礼装服として
アメリカで市民権を得る事になりました。
そして1910年代には当時アメリカで『カジュアルシャツ』であった
『ヒダ胸』のシャツを組み合わせた着こなしが大流行します!。
1920年代に入り『夜の正装服』である【燕尾服】に次ぐ
礼服として【タキシード】が世界中に認知されたのです。
この頃から【タキシードのコーディネイト】として
『黒の蝶ネクタイ』と『黒のカマーバンド』が
用いられる事になり【タキシード】を『ブラック・タイ』と
呼ぶようになっていったそうです。
それまではタキシードとして一般的だったのは
『ショールカラー』だったわけですが
この頃から燕尾服に似せた『ピークラペル』のジャケットや
ダブルジャケットが加わっていきました。
1930年代から『白いタキシード』が登場したり、
『色柄物のカマーバンド・蝶ネクタイ』をコーディネートするようになり、
クロ一色の装いからカラフルなスタイルのタキシードスタイルがではじめるのです。
そして1950年代には【ピーコック革命】の流れに乗り
『色柄物のタキシード(俗称:ファンシージャケット)』や
『クロスタイ』『フリルやレース使いのシャツ』が
インナーとして使われる様になりますが
【ピーコック革命】の後タキシードは『黒一色』の戻っていきます…。
1970年頃に白のタキシード上下にフリルシャツが
『花婿』の衣装として流行し
1986年には『タキシード100周年』 『オーストラリア建国100周年』
『コカコーラ100周年』などのイベントで
タキシードに結び下げのタイ(いわゆる【普通のネクタイ】)をした取材陣が
数多く見受けられるようになったのです。
その頃、日本では光物のアクセサリーを付けた
【ディスコスタイルタキシード】が着用される様なったのです。
約140年の時間を経て『タキシード』は幾重にも
『姿』『形』『着装様式』を変えて現代まで続いてきたというわけです。