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    【トレンドと情報】消えていくナポリのサルトリア

    こんにちは。
    榮屋本舗の代表・伊藤です。
    イタリアにも大手ブランドが台頭し、
    大量生産を前提に、
    仕立ての仕事を工業化していきました。
    どうあがいたって
    流れ作業の工場に比べて生産性が低い職人には
    厳しい風が吹き始めました……。
    低賃金で働かざるを得なくなった
    多くのサルトリアは、
    泣く泣く店をたたんでいきます。
    そのままサルトを引退する者、
    大きな工場へ労働者として就職する者、
    どちらを選んでも悲しい選択肢。
    で、そんな逆風のなかで
    ヌンツォさんはどうしたかというと、
    相変わらず兄弟でヌンツォ・ピロッツィを続けたのです。
    続けていくことで、
    少しは評判は上がったりもしたようですが、
    すべて手作業で行うサルトリアですから、
    その生産性はほとんど変わらず、
    ゆえに収入は低く、生活は楽にはなりません。
    生産性を少しでも上げようと、
    兄弟は朝から晩まで、休日も返上して働いたといいます。
    それでも、
    2人の実入りは大して改善しませんでした。
    やはり、
    単価が下がってしまっているのが、
    大きく響いているのですね……。
    そうこうしているうちに
    2人もそろそろ修行開始から50年を数える
    大ベテランといえる年齢になり、
    後継者をどうするかの問題が迫ってきました。
    ヌンツォは息子のドメニコさんに
    アトリエを引き継いでもらおうと考えていたようです。
    ドメニコさんに幼少のころより
    このアトリエで針仕事を覚えさせ、
    さらに苦しい生活が続くなかでも学費を捻出して、
    ローマの仕立て学校にも通わせました。
    残念ながら、
    ドメニコさんは学校を中退して
    ナポリに戻ってきてしまったようですが……。
    それでも、
    思い描いていたかたちとは違ったでしょうが、
    父の跡を継ぐべく、ドメニコさんは、
    ヌンツォ・ピロッツィの見習いとして働き始めます。
    その後どうなったのかは、
    2月26日のエントリーで書いたとおりです。
    朝から晩まで、しかも休日もなく働き詰めでも
    満足に収入が得られないことに嫌気がさし、
    ドメニコさんはアトリエを飛出し、
    某既製服メーカーの工員となったのです。
    その過程はさまざまでしょうが、
    こうやって有望なサルトの担い手たちが、
    工場の歯車の一つになってしまうという現状が、
    ナポリのあちらこちらで見られたわけです。
    職人と呼ばれるサルトには厳しい時代ですが、
    少しだけ光明もあるようで……次回に続きます。
    チャオ(*^-゚)/~Ciao!
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