こんにちは。
榮屋本舗の代表・伊藤です。
ナポリから
いくつもの名工房が消えていくさなか、
ヌンツォ・ピロッツィはどうしたのか?
実際に話を聞いてみると、
ヌンツォさんと弟のフェリーチェさんで切り盛りする
当時のヌンツォ・ピロッツィの状況は、
想像どおり、決して楽なものではなかったようです。
今から約20年前、
ヌンツォ・ピロッツィは
いまの海沿いの場所とは違う、
ナポリの中央駅の近くにアトリエを構えていました。
当時の彼らは50歳そこそこ、
10代のころから共に修行を積み重ね、
なんとか築き上げ守ってきた自分たちの城で
日々もがき苦しみ、
それでも明日を夢見て奮闘していたといいます。
そんな彼らのアトリエでは、
お客の持ち込んだ生地を預かり、
それを要望どおりのスーツに仕立てることを生業とし、
手間賃を報酬として得ていました。
1着あたりの手間賃は、
日本円で5万円にも満たない程度で、
2人で月に仕立てられるスーツは
どんなに頑張っても十数着が限界。
つまり、
月々に得られる2人の収入は
兄弟合わせておよそ50万円。
そこから家賃や光熱費を支払ってしまうと、
わずかばかりのお金しか手元に残らず、
一家を養うのが精いっぱいだったようです......。
また、
彼らのアトリアがあった場所は、
日雇い労働者が多く住むような、
お世辞にもおしゃれといえるところではなく、
必然的に客層もあまり良いものではなかったとか。
どんなに良い服を仕立てても
会計の際に値切ろうとする客がいたり、
ひどいときには難癖つけて
支払い自体を渋る客がいたりと、散々な状況。
ただ、
ヌンツォさんも職人なので、
ただ客の言うがままに屈するのではなく、
店の中に響き渡るような大声で
激論を交わすことも多々あったといいます。
笑顔が印象的な
いまの彼からはとても想像ができませんが、
それだけ生きていくために必死だった......ということでしょう。
話を聞きながら
私は涙を流してしまいました。
苦労をして技術を身に着けても、
世間から正当な評価がされない。
それどころか、人並みの生活さえままならない......。
これでは、
多くのサルトリアが看板を降ろすのも頷けます。
ナポリをはじめとしたイタリアの仕立て屋が
大事に守ってきた伝統的な職人技は、
このまま消えゆく運命にあるにのでしょうか!?
行く末を案じつつ、次回に続きます。
チャオ(*^-゚)/~Ciao!
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